プロフィール

3月 24, 2018



はじめまして。モハノ(@mohano_jp)と申します。

子供の頃から、やりたいことを好き勝手やって生きてきました。周りから「変わってるね」と言われると、嬉しくて嬉しくて。

どうも、B型です。(偏見…ダメ、絶対。)

直感を信じ、いいな!と思うことには後先考えずに飛び込むタイプでした。

消しゴム1つ選ぶのに30分悩むくせに、「大きな決断」をする場面では即決してしまうことが多かったです。普段は石橋を叩きまくって渡っているのに、時々橋ごとぶち壊すような性格なんです、ええ。

少し長いですが、こいつやべーやつじゃん!と思ってくだされば幸いです。

ひとりの中国人が私の人生を変えた

大学2年の時、なんとなく楽しそうだなと思い、ノリで夏休みの1ヶ月間、中国の田舎の大学に短期語学留学しました。ニーハオ!レベルの中国語で…。

しかし、その経験がその後の人生を大きく変えることになったのです。

1ヶ月の滞在中、寮にあるレストランで働いていた同世代の中国人の女の子たちと意気投合し、授業以外の時間のほとんどを彼女たちと過ごしました。(え?そうですよ?もちろん、筆談です)

毎日が楽しくて楽しくて、あっという間に帰国の日を迎えました。

親友(シ・パオティ)との別れが辛すぎて、号泣している私に「保重(パオチュン)!」と声をかけてくれました。すんごい大事な場面で、すんごい重要な言葉をかけてくれたのに、初めて聞く単語でした。

帰国してすぐにスーツケースから辞書を取り出し調べると、「お身体を大切にね」という意味でした。言葉の意味を知り、パオティの優しさと自分の壊滅的な中国語レベルが悔しくて、本気で勉強しようと決意しました。

それからというもの、私の学生生活は一変しました。朝7時からの中国語スタディ(先生が毎朝コンビニでパンやお菓子を買ってくれたもん!)に参加し、バイトして中国の友だちに会いに行くためにお金を貯めました。

半年後、ついに2度目の再会を果たしましたが、やはり私の中国語レベルでは会話が成り立ちませんでした。(嘘だろっ報われない努力ワロタwww)

大学4年の前期が終わり、周りが就活で頑張っているなか、私は北京留学を決めました。

どうしてもパオティと普通に会話したい!!

ただそれだけの理由でした。

結果的に留学期間を1年延長し、その友だちとも再会して目的を果たすことができました。そして、復学した私はろくに就活もしないまま卒業しました。

おいおい卒業しちゃったよ

高2だったある日の晩、ニュージーランドで老夫婦に日本語を教えている夢をみた私は、

翌朝、

「日本語教師にぃ~~おれはなぁ~~~るっ!!」

と叫びながら起きました。(名誉のために加筆しておきます。実際は叫んでいません)

将来の夢なんて何もなかったし、日本語教えるぐらい余裕っしょ!とニヤニヤ(悪い顔)しながら、進路志望を提出しました。

その足で本屋に向かい、日本語教師になるための本を購入し、具体的な進学先を決めました。

余談ですが、大学3年の海外実習先は偶然にもNZでした。

前置きが長くなってすみません。

前述したように、私は完全なるノリで夏休みの短期留学プログラムに参加したおかげで、一人の中国人の友人に出会い、大学に6年間通うことになり、気づけば就職先も未定のまま卒業してしまいました。

しかしながら、私は1ミリも焦ってはいませんでした。

なぜなら、高2のあの朝に心に誓った、日本語教師になるという確固たる夢があったからです(軽い動機はさておきw)そして、中国に2年間留学したことで、海外で働きたい気持ちが強くなり、次のような計画を立てました。

「よし、まずは韓国からスタートして、アジアからヨーロッパまで移動しながら働こう!」(ドヤっ)

帰国後から大学卒業するまでネットで「韓国スペース日本語教師スペース求人」を検索していました。その作業を繰り返すうち、ある事実が分かりました。

採用条件:現地にいる方優先

アニョハセヨ〜〜〜。現地にいないほうの日本人でぇす。

ノリと勢いだけで生きてきた私は、迷わず現地に行って就活する選択肢を選びました。(そんな選択肢あったっけ)

というわけで、まずワーホリビザを取得して、韓国で仕事を探すのがベストだという結論に至ったのです。

なぜかワーホリビザで韓国来ちゃったよ

先に結論を言いますね?

良い子のみんなは先にちゃんとググろ?

ちょっと言い訳させてください。当時は今のように何でもググれる時代ではなかったんです。

卒業後、すぐにでも現地(韓国)で就職活動を始めたい気持ちは山々でしたが、なにしろワーホリビザを取得しなければいけなかったので(思い込み乙)、ビザ取得に必要な「残高証明書」の30万円以上を稼ぐ必要性が判明しました。

※わざわざワーホリビザを取得しなくても、90日間以内に限りノービザで入国可能です。(韓国に行ってしばらくして気づいて笑ったよね)

つまり、ワーホリで韓国行くなら、まず日本でバイトをして最低30万円をなんとかしないといけない。

すぐさま、誰もがうらやむ「新・卒・採・用」という武器を捨て、丸腰でコンビニに走りました。フリーペーパーの求人雑誌を手に取り、勤務地選びをするために。

うちに帰ってパッとページを開くと、1ページ目は沖縄の離島にあるホテルでのリゾバ、真ん中のページは地元情報、最後のページは北海道のスキー場でした。国内で働く最後のチャンスだから、地元以外の土地で働きたい。

沖縄 or 北海道

秒で沖縄のホテルに決めました。

「だって、寒いの嫌いだもの」もはを

kadoyatakumi / Pixabay

3月末には飛行機に乗り、自分が日本のどこに降り立ったのかも知らないまま、小さな離島でのバイト生活がスタートしました。後に台湾から200キロしか離れていない島にいることを知りました。(ちなみに時期が時期だけに、なぜか新卒扱いで社員候補として雇われてましたよっと)

初めてのホテル勤務はレストランに配属され、早朝から全テーブルのつまようじの向きを1本1本そろえたり、飾り用のハイビスカス摘みに行ったり、不慣れで大変ではありましたが、ふと窓に目をやると、クリームソーダのような綺麗な海が癒してくれました。

信号もコンビニもない。警察官はたったの一人。

とにかく何もない島だったので、時間はゆっくりと流れていて、休日はボーッと海や星を眺めながら、地球について考えたりしてました(根暗認定ありがとう)。でも、何もない島なのに、全てがそこにあるのです。人間にとって必要な豊かさが。

島人(しまんちゅ)と化しつつあった約3ヶ月後、目標金額である30万が貯まったため、地元に戻り、ついにワーホリビザを取得することができました。

就職先も家も決まってないまま、いざ、韓国へ!!

バックパッカーさながらの重装備と折りたたみ自転車(ツッコミスルーします)を船に載せ、港に到着した私は、颯爽と自前のチャリにまたがり、本日の目的地であるゲストハウスを目指しました。

ちょっと自分でも自分がよく分からないんです。

地下鉄に乗れば40分で着くんですぅ?なんでチャリ持って来ようと思ったんだろう!!(白目)30キロはあるカバン背負って4時間かかったわw どうしたん?

次の日から、ちゃんと地下鉄に乗って、中心街へ繰り出し、「日本語学院」と書いてある看板を見つけては、「すみません、仕事ありませんか?」と聞いて回りました。どうしたん?(2回目)

もちろん、答えは「アニヨ(NO!)」でした。

「現地にいる方優先」って言ったよねえ? 

こちとら来てるんですけど!!!

1週間が過ぎたころ、ゲストハウスのご夫婦が「今日も仕事見つからなかったの?大丈夫?今日から宿代(3万ウォン)はいらないから、毎晩90分日本語を教えてくれない?」と言ってくれました。

見知らぬ土地で、このような優しさに触れ、涙が出るほど嬉しく、心強かったです。

翌朝からは新しいゲストが来ると、私が部屋案内をするようになり、ゲストハウスのパソコンでひたすら求人情報を検索しました。そして、ついに面接まで漕ぎ着けることができたのです。

スタバの2階で日本人の先生との面接が終了し、韓国に来てから3週間後、晴れて日本語学校での就職が決まり、翌日、会話指導に必要なE2ビザを取得するため、一時帰国しました。

90日ノービザで滞在できるのに、わざわざワーホリビザでやって来た私ですが、今となっては決して遠回りではなかったと思っています。卒業後、すぐに韓国に来ていたとしたら、あの沖縄のエメラルドグリーンの海を見ることも、満天の星空を見ることもなかったのだから。

こうして、私の夢は叶いました。

行くの?行かないの?突然の中国再び

ついに、日本語教師としての第一歩を歩み始めました。

ヨチヨチでございます。

私が働いていた韓国の日本語学院(학원:塾に相当)では、早朝7時から授業がスタートします。

担当の上級会話クラスには、大学の教授から新聞記者、はたまた主婦や小学生までが同じクラスにいたりして、それはまぁにぎやかというかなんというか、しっちゃかめっちゃかなクラスでした。(言い方よw

日本人が担当するクラスは市販の教科書は使わないので、自作のプリントで授業します。翌日のプリントを配布しておく必要があるため、朝のクラスが終わると、一旦帰宅して、ネットでプリント資料の準備をします。

自分のクラスを継続して受講してくれるコアな学生も数人いるため、一度使った資料は使い回しできません。

生教材が手に入りにくい海外ではネットは神です。

毎日がネタ探し

日本語教師の仕事は授業の準備が7割以上を占めると言っても過言ではないでしょう。

わざわざ日本語学校に通う学生たちは手を抜いている先生を見抜く天才です。この人になら来月もお金を払ってもいい!と思わせなければ、すぐに他校に行ってしまうのです。

私生活はと言うと、たとえ安月給でも(後で知ったけど市内で一番給料安かったよ?キャハ)、家は提供してくれるので、生活には困りませんでした。

仕事も楽しく、徐々に韓国語も話せるようになり、毎日が充実していました。

しかし、2年目を過ぎた頃から、日本語ブームに陰りが見え始め、塾に通う学習者数が減少してきました。

そんなある日の昼下がり。

日本の大学の先生から一本の電話が…。

「久しぶり。元気?あのね、中国の国立大学で求人出てるんだけど、やる?やらない?1時間後にかけ直すから〜じゃあね〜

ガチャっ

えっと…、「はい、元気です」しか発してないんですが…。

1時間後、本当に電話がかかってきました。

「決まったぁ?行く?行かない?」

「行きますっっ」

この瞬間、中国に戻ることが決定いたしました。正直、先生が「やる?やらな」ぐらいで、答えは出てました。

直感で次のステップへ。

こうして、日本語学院(塾)から、大学勤務にステップアップできるチャンスをゲットしました!(棚ぼたマンセー)

修士?ナニソレオイシイノ?

まさか、再び中国に熱烈歓迎される日が来るとは…。

山東省の大学に赴任することになりました。

ただいま、中国。

ほんの1ヶ月前まで韓国の小さな教室にいた私は、緊張で声を震わせながら、広い教室の大きな黒板に名前を書いて自己紹介した初日のことを今でも鮮明に覚えています。

目をキラキラさせながら、初めて見る日本人に興味津々な学生たち。やる気に満ち満ちていて、みんな素直。

なんでも質問していいよ!のコーナーでは、

「先生の好きな政治家は誰ですか。」

という、えっぐい角度からの質問が来たのには面食らってしまったけどw

担当する授業は月曜から木曜までの朝8時から10時まで。週に8時間勤務(最高かよっ)

中国の大学は全寮制ということもあり、朝食を食べてすぐに教室で自習をします。早朝のキャンパスには大きな声で教科書を朗読する学生があちこちにいて、初めて見た時は何かのコントかな?と爆笑してしまいました。(やめとけっw

また、1年生は夜間も教室で自習しなければならないため、朝から晩まで勉強するのが普通です。そのため、私が担当する授業時間こそ少ないですが、ひらがなを教えた2ヶ月後にはスピーチ大会ができるほどでした。

韓国では上級クラスしか担当したことがなかったので、ゼロから教える初級クラスは違った楽しさがあり、学生たちがめきめきと成長する姿に感動することも少なくありませんでした。

後期に入り、授業にも慣れてきた頃、日本語学科の主任に呼び出されました。

「先生は韓国にも住んでいたから、韓国と中国と日本の文化の違いについてよく知っているでしょう?今度ちょっとした会議があるから、簡単な文章にして、そこで発表してくれませんか?」

「へいっ」

軽い気持ちで承諾しました。

指定された日に会場に行ってみると、なんということでしょう〜。

あれ?あれれ?あれれれれ?はぁ??

「中韓なんちゃら学術大会」的横断幕発見(遠目)

「ちょっとした会議」って言ったよねえ? 

殺意を抱きながら、わたくし知らないうちに学会デビューしてました。明らかに場違い。

韓国から来たいかにも賢そうな教授たちが次々と発表していきます。そして、ついに、自分の順番に。

みなさんの想像以上に、私のメンタルはやられましたw

もう思い出したくないので端折りますね?

学会後の懇親会では「早く帰りたい」を心の中で3万回ぐらい唱えましたが、なかなか終わってはくれません。

そこに日本人の男性教授が近寄って来るではありませんか。ソウル大卒で韓国の大学で教授をされている超絶エリートの方でした。

名刺交換しながら、さらっとこう言われたんです。

「先生は修士はどちらで?」

「修士?あーーーえーーーーーーっと、出てませんっ。」

学士しか持ってませんけど何か?今日だってただの身内の会議かと思って感想文を発表しただけですけど何か?

「あ〜そうでしたか。あはは。それじゃ、韓国では塾の先生してたの?」(いきなりのタメ口草w)

「あ、はい。」

「いや〜でも、良かったね。塾の先生から大学の先生に昇進できて」

半年後、韓国の大学院に留学した話、いる?

韓国の大学で働くことになったよ←イマココ

中国での大学勤務を1年で切り上げ、韓国の大学院に留学するため、一時帰国しました。

なにしろ、学士しか持ってませんからね(棒)

大学は日本語が主専攻だったし、特に院まで行くつもりは皆無だったのですが、やはり、この仕事を長く続けていくためには、もっと専門性を高めたほうがいいと感じました。

留学申請に必要な書類に不備があったため、予定より半年韓国入りが遅れたので、久しぶりに実家で過ごしました。

せっかくだから、学生時代に一度受けて撃沈した「日本語教育能力検定試験」に挑戦することに。

※私は日本語教育が主専攻だったので、正直就職などで役に立ったとは思いませんが、ツイッターでアンケート調査を行った結果、59%の日本語教師が役に立ったと回答してくださいました。これから受験なさる方のご参考に。

 

3ヶ月間、短期バイトをしながら、深夜にファミレスに行き、久しぶりに受験勉強しました。

その甲斐あって無事合格でき、必要な書類もそろったので、再び韓国に戻ってきました。

ただいま、韓国。

あの時と違うのは、学生の身分として来たということ。

学費から生活費までの全てを家庭教師のバイトを掛け持ちしながら捻出しました。

極狭のゴシウォン(考試院)には、ベッドと机しかありませんでしたが、炊きたてのご飯とインスタントラーメンは無料で食べられたので、飢え死にする心配はなかったです。

2年間、その生活に耐え、修士取得

さらに、指導教授が大学での常勤のお世話をしてくださり、今度は韓国の大学で日本語教師として働くことになりました。本当に、本当に、感謝しかありません。(ここまでの人生すべて他力本願だけで生きてきやした)

そして、博士課程に進学し、常勤講師との二足の草鞋を履く生活がスタートしました。

2年間の修士課程が修了後、大学で働きながら、気づけば5年の月日が経ち、ようやく博士論文を書き終え卒業することできました。

「韓国からスタートして、アジアからヨーロッパまで移動しながら働こう!」という当初の目標は、未だスタート地点のまま…。

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